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京都の寺院

天龍寺は異世界へのゲートウェイ。竹林が織り成す大自然のパワーを感じてきました

京都には、世界的に有名なお寺がたくさんあります。京都にあるお寺は、日本の仏教を象徴するような建造物だけでなく、当時の流れをそのまま現代にも伝えており、それが多くの人にとって魅力的に感じるわけです。
京都の中でも、観光地として有名な場所に天龍寺があります。日本人観光客だけでなく、外国人観光客でも天龍寺に訪れたいと考えている人は少なくありません。では、このお寺やすぐそばにある竹林の小径にはいったいどのような魅力があるのでしょうか。

天龍寺とはどのようなお寺なのか

このお寺の歴史を振り返ると、平安時代の初期ごろまで遡ることになります。当時に建物は、亀山殿と呼ばれており今のようなお寺の形があったわけではありません。もともとは、亀山天皇の離宮だった場所に当たります。やがてこれが室町時代になると天龍寺と呼ばれるお寺に変わっていきました。その後、現代まで姿を残すことになりますが実は何度か火災によって消失しており、当時の姿をそのまま見ることができるわけではありません。火災は室町時代に4回も起こっており、伽藍の消失や法堂の消失など歴史的に重要な部分が失われていきました。
長い歴史の中で地震にも襲われましたが、豊臣秀吉や徳川家康が寄贈しお寺の形を維持することができているといえます。現在のような形になったのは、明治時代後期のものと言われており建物自体の歴史はそこまで古くはありません。
建物の中に置いてあった重要な資料なども度々の火災によって消失していますが、明治時代以降のものはほぼ元のかたちをとどめている状態です。

竹林の小径の魅力に迫る

天龍寺を観光するにあたり知っておきたいスポットの1つは、竹林の小径と呼ばれる道になります。別名竹林の道とも言われておりどちらの呼び方も正しいです。場所は、天龍寺から野宮神社に至る道の途中にあります。住宅街を少し奥に入ったところあるため、わかりにくいですが近くまで行くと突然住宅街がなくなりうっそうとしげる竹林が目の前に姿を現すでしょう。
竹林の小径は、およそ600メートルほど続いており、入り口から出口まではわずか9分ほどですが、観光目的で行く場合にはじっくりと時間をかけて歩きたいと考える人が多いようです。終点は、大河内山荘庭園になります。ちょうどトロッコ嵐山駅の目の前に出ることになるでしょう。
道幅はやや広く、自動車が通れる位はあるものの自動車の走行は禁止されています。あくまで歩行者天国のような形で一般の人に解放されているのが特徴です。
通常の竹林と異なり、20メートル以上の竹はずらりときれいに並んでいます。太陽の光を遮ることになるため、夏場でも涼しいのが特徴です。

現在わかっている事とは

竹林の小径に関しては、現在でもたくさんの謎があるとされています。その1つは、一体誰がこの小道を造ったのか明確でないことです。お寺のものであれば、そのお寺の資料を見ればわかるわけですが、天龍寺は何度か火災で消失しており古くからの資料がほとんど見当たりません。明治時代後期からの資料はあるものの、すでにその段階で竹林の小径は完成されていました。少なくとも、明治時代よりも前の段階からあることがわかっているだけで、それ以外の資料は無いわけです。
誰がいつ造ったかわかりにくいのは、竹林の小径自体が自然のものでできているからです。建造物ならば、ある程度建物自体に資料が残っていることもあり、当時の柱の落書きなどからも判明することがあります。しかし、竹林の小径に関しては竹に何か刻まれているわけでもなく、竹は何も語ってくれません。
天龍寺側から歩いた場合、竹林の小径の終点となっている野宮神社が平安時代には建立されていることから、もしかしたら平安時代にはすでにこの道はあったのではないかと推測されています。

竹の種類も知っておこう

竹の種類も知っておこう

天龍寺から竹林の小径を歩く場合には、あることに気がつくはずです。それは、とても背の高い長が道全体を被っていることです。実は、この種類は日本でよく見られる孟宗竹と呼ばれる種類になります。この種類は、最大で25メートルにも達するとされており、その竹林の小径周辺に生えている竹もそれぐらいの高さがあるとされています。竹林の歴史も非常に古く、それぐらいの長さになっても決して不思議ではありません。
ちなみに、道を歩いていくと両サイドの竹林が非常にきれいに整っているのは、定期的に整備しているからです。もし自然のままの状態ならば、綺麗な状態を維持することは難しいでしょう。この点に関しては、観光地としての意識をしてお金をかけていることがわかります。
現在の竹の種類は、日本で一般的に見られる孟宗竹ですが、一説によれば昔は別の種類の長だったのではないかと言われています。なぜなら、孟宗竹が中国から入ってきたのは平安時代よりも後だからです。仮にこの竹林の小径が平安時代に完成していたとすれば、当時は真竹に覆われていたかもしれません。

まとめ

天龍寺は、平安時代からあるお寺の1つですが、何度も火災によって消失しています。そのため、お寺そのものの歴史や周辺の観光地の歴史などを知る事は難しいです。天龍寺の近くには、竹林の小径と呼ばれる遊歩道があります。この道は、全長600メートルで人間が歩くと9分ほどの時間がかかります。
竹林の小径はいつごろからあるかは分かりませんが、平安時代からあるのではないかと言われています。きれいに整備された道で、高さが20メートル以上ある孟宗竹に覆われており幻想的な空間を味わえるのが特徴です。

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京都の寺院

ステイホームで観光気分♪授与品の取り寄せ方とオススメ寺院

ニューノーマルが求められる現在、ステイホームを重視して観光旅行を控える方が増えていますが、京都のお寺でも参拝客が前年比を大きく下回り、回復がなかなか見込めないのが現状です。
そんな中で仕事や学業だけではなく恋愛や健康などさまざまな祈願をしたいという要望に応えるために、本来ならば現地に行かなければ購入できなかった授与品を通販で提供するお寺も登場し、自宅に居ながらにして取り寄せて観光気分を味わう方法として大きな注目を集めています。

通販でもご利益は心配ありません

本来、授与品は実際にお寺に行って参拝し、感謝を捧げる意味で対価を納めることでご利益を得られるものだと考えてしまいがちですが、通販でもそのご利益は変わらないという解釈が増えています。
多くのお寺は観光要素も高く、近隣の飲食店でそこでしか食べられない食べ物や飲み物に舌鼓を打ったり、伝統的な建造物を見ては厳粛な気持ちになり、手を合わせて祈りを捧げれば夢や目標を叶えるためのご利益が得られると感じ、心身ともに喜びを覚える瞬間は他の何にも代え難いものです。
そんな素晴らしい体験が思うようにできなくなってる現在、少しでも心が満たせるように授与品を通販で提供するお寺が増えています。
宗派にもよりますが現在の状況を神様も理解しておられ、健康への不安を抱えて現地に行ってもお喜びにならないという考えがあり、たとえ通販であっても真摯な気持ちで授与品を受け取れば救いの手を差し伸べてくれます。
また、お寺の住職たちもそれらの現状や通販であることを考慮し、購入者へ現地に訪れたのと同様のご利益があることを願って特別に力を入れて祈祷などが行われた例もあります。

今こそ健康のご利益に預かりたいなら狸谷山不動院

狸谷山不動院は京都を代表するお寺で、多くの方にとって健康不安がある今こそ、そのご利益に預かりたいところです。
公式通販サイトでは代引き決済のみに対応し手数料が250円、送料が250円となっています。
なで御幣は志納金1500円で、がん封じや難病が避けられるとされ、患部や気になる部位をなでることでご利益が得られます。
身代り守りは袋無しが500円、袋入りが800円で、持ち歩きに便利なコンパクトサイズでこちらもがん封じや難病などあらゆる災難から、まさに持ち主の身代りになって守ってくれます。
トイレのおふだ「トイレの神様」は700円で、トイレを清潔にしてくれるウズマサ明王が描かれています。
排泄物から感染症が感染する事例も多いことからトイレに注目が集まり、さらに人気が高まっています。
腹帯は1000円で、妊娠中の方や病気療養中の方がお腹にあてることで安産や回復にご利益があります。
寝巻のポケットや枕の下に置いてもよく、利用シーンが多いのも特徴です。

恋愛成就にご利益のある地主神社

地主神社は美しい姫と結ばれたという伝説のある大国主命が御祭神の神社で縁結びにご利益があり、観光シーズンには恋を成就したい人々で賑わっていました。
取り扱っている授与品は片思いや両想い、親族の方の幸せを願うなどのカテゴリーに分類されており、ピンポイントにあったご利益の授与品を選べるのも嬉しいところです。
支払いは現金書留や郵便振替に対応しているほか、公式通販サイト以外にもパンフレットを請求することも可能です。
縁結びのお守りは初穂料500円とお手軽な価格ながら、中央にはハートに恋という刺繍が施されているのが特徴で恋を成就したい方に人気です。
キューピッドお守りは1000円でハートにキューピッドの矢が射抜かれたデザインで、アタックしたい相手が決まっている方におすすめです。
良縁のおまもりのしあわせは1000円で、金色でえんむすびと刺繍されたスタンダードなデザインで幅広い層の方から支持され、両者の縁を結んでくれるご利益があります。

人間関係の良縁を求める方には安井金毘羅宮

人間関係の良縁を求める方には安井金毘羅宮

安井金毘羅宮には縁切り縁結び碑があり、仕事関係や友人関係など悪い縁を切って良縁へと導いてくれるご利益があります。
ステイホームの時代だからこそ、より良好な人間関係を求める方も増えており注目を集めています。
通販の方法はハガキのみで受け付けており、送金方法や手数料などは社務所で個別に相談する形になります。
悪縁切御守は初穂料500円で、会社や学校で自身に不幸をもたらす人物を遠ざけるご利益があり、同じく500円のえんむすび御守は信頼できるビジネスパートナーや友人との出会いへと導いてくれます。
稲宝来は1500円で、毎年12月から翌年1月まで開催される金毘羅祭の期間中のみ授与されます。
無病息災や招福吉兆を祈る縁起もので、玄関や門などに飾ってその家の住人にご利益をもたらします。
より健康への意識が高まっている昨今だからこそ、節目に真摯な気持ちで行事を行うことでご家族を守ってくれます。
こちらの稲宝来はファックスやハガキで申し込みが可能で、郵送時に同封された郵便振替用紙で料金を振り込みます。

まとめ

時代やライフスタイルの変化から、現地に訪問せずともご利益に預かりたいというニーズに応えるために、京都のお寺でも大きく舵を切り通販を開始したケースが意外に多いことが分かりました。
この動きは加速しており、これからも通販に対応するお寺が増加することも予想されています。
最も大切なことは真摯な姿勢で授与品を受け取り、ご利益を得られるために奔走していただいたお寺の関係者、そして何より祀られている神様に感謝をすることです。

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京都の寺院

ゲーム好きなら大覚寺へ!刀剣乱舞「膝丸」ゆかりのアイテムを手に入れよう

大覚寺は観光都市・京都を代表する著名な寺院です。右京区の鬱蒼とした森林が生い茂る静かな山間にある真言宗のお寺ですが、ここでは昨今、若い女性に大人気となっている刀剣乱舞の膝丸を模したお守りが授与されています。

そこでここでは、膝丸の概要から授与の受け方・アクセス方法等を詳しくご紹介していきましょう。これから京都市の大覚寺を訪れようとなさる方や、刀剣乱舞好きの方にとって参考にしていただければ幸いです。

大覚寺とは天皇家ゆかりの寺院

京都というと、794年の平安時代から1861年に明治維新を迎えるまでの間、ずっと天皇が住まわれてた都です。今も「京都御所」が市内の中心部に存在しており、2025年までの間に上皇様がこの地へと越される予定となっています。大覚寺はこの御所から見て左手の左京区にあり、その距離は約4キロメートルしか離れていません。

寺院を創建したのは平安時代の高僧として著名な空海で、天皇を守護するために建立したと伝わります。この時代は数多くの災難が降り注ぎ、特に疫病の蔓延が深刻でした。その災いを鎮める目的もあり、寺院の正面には大きな菊の紋をあしらって、朝廷の加護を受けている場所であると示しているわけです。現在も宮内庁の管轄となっており、ここでは毎年2月3日の建国記念日には、宮内庁から訪れる使者が宝物を携えてお詣りをなされています。本尊は阿弥陀如来となっており、この世界に極楽浄土を再現なされています。

阿弥陀如来の宝物が膝丸!

阿弥陀如来の宝物が膝丸!

大覚寺は京都市内の名所の中でも、非常に著名で年間を通して数多くの観光客が集います。2010年頃から10代・20代の若い女性が多くなりましたが、その理由となっているのは大人気ソーシャルゲーム「刀剣乱舞」にまつわる、アイテムの名前を持つお守りが授与品となっているからです。そのお守りの名は「膝丸」で、刀剣乱舞で1位・2位を競う人気キャラクターになっています。

大覚寺では以前から、魔除けの意味をこめた膝丸を寺院のお守りとしており、1つ800円で授与品になされています。この膝丸は、本尊の阿弥陀如来が右手に携えている宝物で、仏教の教えでは剣や槍など自在に姿を変える武器だと言われていました。剣になった時は鬼や邪気を振り払う力があるとされ、膝丸のキャラクターが高い戦闘力を有している点とマッチしてるといえるでしょう。この授与品は1日限定50個までと制限がなされているため、求める方々は朝早くから並ばれているほどです。

大覚寺に行くならバスを使おう

刀剣乱舞が好きで、これから京都・大覚寺にも行きたいとお考えの方も多いことでしょう。京都市内は鉄道網からバスなど、公共交通機関が大変充実しているので各名所に行くには非常に便利なスポットです。大覚寺は右京区にある愛宕山の麓に伽藍を構えているので、山門の前まで連れて行ってくれる市バスを利用するのがおすすめです。

この市バスはJR京都駅前にあるバスロータリーの4番乗り場から出ており、1時間に4本の割合で運行されています。5番系統から8番系統ならどれに乗車しても構わないので、利便性にも長けているのが特徴です。

大人1名560円の運賃となりますので、もし4名以上で大覚寺へ向かわれる場合は、タクシーを利用しても良いでしょう。2キロメートルの距離なので、タクシーの方が幾分かは割安で乗ることができます。山門周辺にはお土産物店も多く、ここを訪れると数時間は観光を楽しめるスポットにもなっている一帯です。

周辺観光も満喫しよう

刀剣乱舞のアイテム「膝丸」を求めて大覚寺を訪れたら、その周辺観光も満喫しましょう。この一帯は奥都という名前でも親しまれており、「大原の竹林」「哲学の道」「渡月橋」といった著名な名所に足を運ぶことも可能です。

「大原の竹林」は約2ヘクタールの一帯で構成されていて、無数の竹を目にする事ができます。日本人観光客だけでなくインバウンド客も大勢訪れており、京都を代表するスポットといえるでしょう。

「哲学の道」は、太宰治が生前暮らしていた自宅前にある道です。高瀬川のほとりにあり、全長2キロメートルの小径で、春になると桜が美しく咲き誇ります。

「渡月橋」は木津川に架かる橋で、中之島と嵐山を結んでいます。全長500メートルの小さな橋ですが、愛宕山を目にすることができる景勝地で観光客に大人気の場所です。これらは大覚寺から徒歩15分圏内なので、散策を楽しみながら京都を心ゆくまで満喫できるスポットになっています。

まとめ

大人気ソーシャルゲーム「刀剣乱舞」では、実在している刀や宝物が登場します。そのなかのひとつである膝丸は、京都有数の観光名所である大覚寺の本尊・阿弥陀如来が持つ宝物のことです。

お守りとして一般参詣者に授与されており、1つ800円で手に入れることが可能になっています。魔除けの効果があるので、自宅に飾っておくといいでしょう。実在する膝丸を手に入れることで、より一層、刀剣乱舞への愛が深まって思い入れのある作品となります。

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銀閣寺、甘く見てた!日本文化「詫び寂び」の究極のかたち

京都の観光地といえば「銀閣寺」は世界中から観光客が集まる人気スポットです。歴史の授業でも必ず学ぶ親しみのある寺院ですが、実はもっともっと魅力があります。ここでは銀閣寺の成り立ちから、歴史や文化、そして観光の際におすすめなアクセス方法などをガイドします。金閣寺と銀閣寺の比較など、おもしろいトピックも扱っているので、ぜひ読んでみてください。それでは、まずは銀閣寺の簡単な基礎情報からおさらいしましょう。

銀閣寺の基礎情報(住所やアクセス)をチェック

銀閣寺は京都府京都市左京区銀閣寺町に所在している寺院です。正式名称は「東山慈照寺」です。臨済宗の相国寺、塔頭寺院と呼ばれるものに属しています。銀閣寺と呼ばれるきっかけになったのは、金閣寺が由来です。もともとあった金閣寺に対の意味で銀閣寺と呼ばれるようになりました。さらに飛雲閣(西本願寺境内)と金閣寺、そして銀閣寺のことを京の三閣と呼びます。銀閣寺は1994年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。清水寺や延暦寺などと一緒に「古都京都の文化財」として登録されています。

それではアクセス方法を見ていきましょう。バスを利用するときは京都市の市バスがあります。金閣寺や相国寺など有名観光スポットからもバスが出ているので利用しやすいでしょう。敷地内には観光駐車場も用意されています。営業時間は午前8時40分から午後5時10分までです。ただ、シーズンや大型連休期間は混雑が予想されるので、バスを利用するのがベターでしょう。

銀閣寺の歴史を知ろう!

銀閣寺は1482年に第8代室町将軍の足利義政により造営されました。もともとは応仁の乱の際に焼失した浄土寺跡に、東山殿と呼ばれる山荘を造営したのが始まりです。銀閣寺は金閣寺に比べて質素だとか地味だとか言われることがありますが、これは応仁の乱により京都の経済が一時的に落ち込んでいたことを反映しているとも言われています。銀閣寺は完成してすぐに、足利義政の住居となりました。そして、長い年月をかけて増築していき、禅室の西指庵や泉殿、東求堂などが作られていきます。

足利義政は後に「銀閣」と呼ばれる観音堂が完成する前に死去し、山荘は菩提寺となりました。そのときに相国寺の松寺として慈照寺が創設されます。1615年には銀閣寺の大改修が行われました。ちなみに、銀閣寺の周辺には「哲学の道」と呼ばれる観光スポットがあります。西田幾多郎や田辺元などが散策し、日本の道100選に選ばれており、当時の文化人たちは銀閣寺を望みながら思索に耽ったようです。

銀閣寺が代表する東山文化とは

銀閣寺は室町時代の東山文化の代表例としてよく挙げられます。この文化を説明するには、対になる北山文化の説明から始めたほうがいいでしょう。北山文化のときの権力者は3代将軍の足利義満です。義満は室町時代の最盛期を過ごした権力者で、自身を国王と称するなど繁栄の時代を生きました。そんな義満はきらびやかな文化を好み、その代表例が鹿苑寺金閣寺です。金箔に彩られた金閣寺はまさに豪華絢爛といったところです。

第8代将軍の足利義政は義満にならって銀閣寺を建てましたが、時代は北山文化から東山文化に変わっていました。東山文化は禅の影響を受けており、簡素さは当時の経済状況も反映していますが、幽玄や枯淡という独自の美しさも表現しています。また、北山文化が中国の唐に影響された唐物であるのに対し、東山文化は和物にフィーチャーされています。代表的な例は東求堂の一室である同仁斎です。書院造と呼ばれることになる建築様式は和風住宅の原型と言われています。

侘び寂びのルーツは銀閣寺にある

侘び寂びのルーツは銀閣寺にある

日本文化の究極と呼ばれるものといえば、「侘び寂び」の精神です。侘び寂びは戦国時代の千利休や俳句で有名な江戸時代の松尾芭蕉のイメージが強いでしょう。しかし、侘び寂びのルーツは銀閣寺にあるとも言われています。銀閣寺の登場した室町時代中期は茶道や華道、能楽などが発展した時期です。平安時代の国風文化のように、これまで中国が文化の主体だったのに対し、日本独自のものがリバイバルや新開発された時期とも言えます。

書斎を兼ねた書院造の登場は、日本初の茶室を設置することになります。しかも、この同仁斎と呼ばれる茶室は4畳半のスペースしかありません。なぜ、このような茶室は成立したのでしょうか。同仁斎は極限まで無駄なものを削ぎ落とした建築で、同仁斎には「すべての人間を平等に扱う」という意味が込められています。義政は当時差別を受けていた芸人や技能者と交友を持っていたとされる人物ですが、同仁斎には義政の願いも込められているようです。銀閣寺は千利休を始めとする文化人に影響を与え、今では侘び寂びを代表する建築物の一つに数えられています。

まとめ

銀閣寺の基礎情報に始まって、歴史や文化的な意義を解説しました。銀閣寺は金閣寺と比べると地味と言われますが、その建築物の様式や思想には奥深いものがあることが分かったでしょう。まさに日本文化の粋を表現しているスポットなので、観光の際には建物だけでなく自然との溶け込み方や何気ない小物に至るまで、ひとつひとつ丁寧に見ていくといいでしょう。日本的な美を感じられるはずです。京都におこしの際にはぜひ訪れてみてください。

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夏は勧修寺へ。鮮やかピンクが広がる蓮の名所「氷室池」で涼やかな気分を味わおう!

古都で知られる京都には神社や仏教寺院などの観光スポットがたくさんあり、季節に応じて美しい自然の風景を眺めることができます。京都市山科区にある勧修寺の庭園も春の桜や晩秋の紅葉で有名ですが、初夏の時期には美しい新緑の風景を楽しむことができます。この時期の勧修寺の一番の見どころは、境内の「青もみじ」と「氷室池」に咲き乱れる蓮の花です。市街地のはずれに位置している勧修寺は境内のすぐ隣に山があり、夏の時期になると新緑の光景をバックにして静かな境内で涼やかな気分を味わうことができます。

勧修寺の基本情報とアクセス方法

醍醐天皇が生母の菩提を弔うために建てたのがはじまりと伝えられる。氷室池を中心とした庭園は、平安時代風の雅かな雰囲気。

https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=202&r=1623305429.2228

勧修寺(かじゅうじ)は京都市山科区の西部にある仏教寺院で、宗派は真言宗山階派です。こちらのお寺は大変歴史が古く、創建されたのは平安時代の昌泰3年(西暦900年)です。天皇家や藤原家ゆかりが深い格の高いお寺のひとつで、「山階門跡」とも呼ばれます。応仁の乱の際に焼失して一時的に衰退しましたが、江戸時代になってから徳川幕府の援助によって再興し、境内にみられる多くの伽藍や美しい庭園が整備されました。
勧修寺のアクセス方法ですが、公共交通機関を利用する場合は京都市営地下鉄東西線「小野駅」を下車してから西に6分ほど歩いた場所にあります。地下鉄東西線は、京都市営地下鉄烏丸線御池駅・JR山科駅・JR奈良線六地蔵駅で乗り換えることができます。拝観時間は午前9時から午後4時まで(年中無休)で、拝観料(大人)は400円です。勧修寺は京都市内中心部から離れた場所にあるため、金閣寺や清水寺などの有名な観光スポットと比べて観光客は多くありません。観光客が少なめなので、境内でゆっくりと過ごすことができるでしょう。

蓮で有名な「氷室池」とは

勧修寺の有名な見どころのひとつは境内の南側にある「氷室池」で、国の重要文化財に指定されている「書院」や水戸黄門ゆかりの石灯籠を眺めることができます。「氷室池」の歴史はたいへん古く、平安時代から存在していました。冬になるとこの池に氷が張り、毎年正月2日に池の氷が天皇に献上されてその年の作物の作柄を占われました。「氷室池」の周囲は紅葉の名所として知られていて、晩秋の時期になると多くの観光客が訪れます。紅葉の時期以外はこの場所を訪れる観光客は少ないですが、5月下旬になると池に植えられている睡蓮の花が咲き始めます。8月下旬の時期になると「氷室池」は蓮・紫陽花(アジサイ)・半夏生・ショウブ・アヤメが開花して、鮮やかなピンクや白色の花が咲き乱れる幻想的で妖艶な夏の景色を楽しむことができます。「氷室池」の奥のほうに行くと多くの木々が生えて鬱蒼としており、人工の建築物のない自然の森の姿を眺めることができるでしょう。

勧修寺の夏の見どころ「青もみじ」

勧修寺の夏の見どころ「青もみじ」

京都の名所と聞くと、多くの方は春の桜と秋の時期の紅葉を思い浮かべるかもしれません。市内にある有名なお寺の境内や庭園には多くのモミジが植えられていて、晩秋の時期になるとモミジの葉が黄色や紅色に染まって美しい秋景色を見せてくれます。モミジの葉は冬になると散ってしまいますが、春になると新芽が出て初夏から夏の時期にかけて青々とした美しい「青もみじ」の姿を見せてくれます。京都市内で紅葉で有名なお寺の中には、夏の時期の「青もみじ」の名所も少なくありません。
山科区にある勧修寺も「青もみじ」の名所のひとつで、5月下旬頃から8月にかけての時期になると境内の南側の「氷室池」の周囲で、青々とした夏の風景が楽しめます。ちなみに、真夏の時期の京都駅周辺は灼熱地獄と化しますが、市内中心部から離れた山のすぐ近くに位置する勧修寺の「氷室池」の周辺は夏の日中でも涼しくて快適に過ごすことができます。勧修寺は京都市営地下鉄の駅から徒歩数分のとても便利な場所にあるお寺ですが、境内に入ると涼しげな「青もみじ」の風景が楽しめるおすすめスポットです。

いつでも美しい花が楽しめる勧修寺のみどころ

勧修寺は春の桜と秋の紅葉が有名ですが、夏の時期になると「氷室池」に植えられた蓮の名所であることも知られています。勧修寺の境内の庭園はあまり人の手が加えられていないので自然の森の姿に近く、四季を通じてその時々の草花が楽しめるお寺です。
季節ごとの勧修寺の境内の見どころですが、桜(春)・カキツバタ・花菖蒲・睡蓮・紫陽花(初夏~梅雨)、蓮・青もみじ(夏)、楓(秋)、紅葉(晩秋~冬)、梅(冬~早春)があります。これらに加えて人の手がほとんど加えられていない境内の木々には多くの野鳥が住んでいて、春になるとホトトギスの鳴き声が聞こえます。
京都市中心部から地下鉄でアクセスできる勧修寺は、いつ訪れても季節ごとの草花や自然の風景が楽しめるお寺です。夏の時期に京都を訪れる場合は、勧修寺に立ち寄って涼しげな「青もみじ」と鮮やかで妖艶に咲き乱れる蓮の花を眺めて、身も心もリフレッシュすることをおすすめします。

まとめ

京都の夏の見どころと聞くと、多くの方は清水寺や貴船神社・鞍馬寺などのお寺を思い浮かべるかもしれません。清水寺や金閣寺と比べると山科区にある勧修寺の知名度は高くありませんが、京都市内で数少ない「青もみじ」が楽しめる名所のひとつです。夏の時期に京都を訪れる予定があれば、勧修寺に立ち寄って「氷室池」で咲き乱れる蓮の花や、池の周囲を取り囲むように生い茂る涼しげな「青もみじ」の景色を眺めてみるのはいかがでしょうか。

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一度は行きたかった平等院鳳凰堂!そこには想像を超える幻想的な世界が待っていた

源氏物語の舞台にもなった京都の宇治には、美しい平等院鳳凰堂があります。平等院は世界文化遺産にも登録された寺院で、数多くの国宝でも有名です。10円硬貨に描かれている鳳凰堂は海外でも有名で、定朝作の阿弥陀如来坐像が安置されている御堂には多くの観光客が訪れます。

池の中島に立てられている御堂は宮殿のように輝き、水面に美しい姿を映しています。鳳凰堂を正面から見ると翼を広げた鳥の姿に見え屋根の上には鳳凰が据えられているため、鳳凰堂と呼ばれるようになります。

鳳凰堂には現存する日本最古の大和絵風「九品来迎図」(くほんらいこうず)が伝来していて、生前の行いや信仰により、臨終の際の阿弥陀如来のお迎えが、上品上生から下品下生までの9段階に分かれる様子が堂内の扉や壁に描かれています。日没を美しいままに描いた日想観図を始め、当時の自然観や宗教観、風土を知ることができる貴重なものです。

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平安王朝の輝きを現代に伝える平等院

京都の宇治は源氏物語の舞台にもなった地で、平等院は宇治院が起源の寺院です。藤原道長は998年に宇治院を譲り受け、道長が亡くなった後は子どもの藤原頼道が所有します。頼道は本堂を建立して寺号を平等院に改め、1053年に鳳凰堂が建立されます。平等院鳳凰堂は中堂に本尊の阿弥陀如来坐像が安置され、鳳凰堂と全面に広がる池は極楽浄土を再現した浄土庭園と呼ばれています。創建された当時は天台宗の寺院でしたが、後に浄土宗も兼ねるようになります。現在では特定の宗派に属さない単立寺院になり、国内外の人々に愛されています。

鳳凰堂は2012年6月から2014年9月まで修理が行われていますが、定期的な修復のおかげで伝統的な建造物が次世代へと引き継がれます。昭和修理から50年以上が経過して平成修理が行われ、外部塗装の塗り直しや屋根の葺き替えを中心に部分的な修復が行われています。現状維持の修理が基本ですが、一部の意匠や仕様は調査研究により判明した旧形式です。

平等院鳳凰堂の絢爛豪華な様式

平等院鳳凰堂の絢爛豪華な様式

国宝の鳳凰堂を見ると、摂関時代と呼ばれている平安中期の建物の様式がわかります。約1000年の時を経ても、絢爛豪華な様式は変わらぬ美しさを保っています。定期的な修復を継続しても、赤を基調にした鮮やかな色調は平安時代の風合いを残します。堂内には阿弥陀如来坐像があり、壁には極楽浄土図などが描かれ優美な世界が広がっています。

平等院鳳凰堂では、鳳凰堂と書かれている御朱印と阿弥陀如来と書かれている御朱印を貰えます。どちらも人気が高い御朱印で、平等院オリジナルの御朱印帳は種類が複数あります。鳳凰がデザインされた御朱印帳は、特に人気を集めています。鳳凰堂は平等院鳳凰堂の中でも中心の建物で、1万円札の裏側に印刷されているのは鳳凰堂の屋根に飾ってある金色の鳳凰です。平安時代最高の仏師と呼ばれる定朝が作った金色の阿弥陀如来坐像は、現存する唯一の定朝作品になります。鳳凰堂の内部を拝観したい場合は、時間ごとの定員制になっています。

平等院鳳凰堂と美しいミュージアム

平等院に入場したら内部拝観受付に行き、時間券を購入します。内部では職員の説明がありますが、説明は日本語で行われています。外国人観光客も多いため、英語など外国語の解説文もあります。

鳳凰堂の内部拝観は、当日分の現地受付のみ時間の予約が可能です。電話やメールでの予約は不可能で、先着順で無くなり次第終了しています。内部拝観は代表者がまとめて人数分の拝観券を購入でき、朝9時から当日分の内部拝観券が販売されます。待ち時間は曜日やシーズンにより大きく異なり、休日は混雑します。

平等院は世界遺産にも登録されている貴重な建造物など、様々な見どころがあります。数多くの国宝や重要文化財が収められている平等院ミュージアム鳳翔館は、人気が高い観光スポットのひとつです。2001年に開館したミュージアムは第3世代ミュージアムで、平等院鳳凰堂を中心に調和した外観を実現するために大半が地下構造になっています。

京都観光で平等院鳳凰堂と周辺スポットを楽しむ

ミュージアムの館内は自然光が入るように工夫され、展示物に対する空間の特性が活かされています。日本でも最大級のガラスウォールケースが使われた最先端の建物で、中に入ると地下1階地上1階の体験型ミュージアムを楽しめます。

モダンな館内では、美しい輝きを見せる鳳凰や雲中供養菩薩像などの国宝を間近で見られます。平等院境内には日本茶の専門店があり、地元で収穫された茶葉をブレンドした宇治玉露や宇治抹茶を味わえます。

平等院鳳凰堂は京都観光で訪れる人も多いですが、京都駅からのアクセスはJR奈良線で宇治駅まで17分です。奈良駅からはJR奈良線で31分で宇治駅に到着し、宇治駅から平等院までは歩いて10分程度の距離になります。東京からだと新幹線に乗り約2時間で京都駅に到着し、関西空港からJR特急に乗ると74分で京都駅に到着します。

平等院で案内している専用駐車場車はなく、駐車場を利用したい場合は近隣のコインパーキングなどを使います。

まとめ

平等院鳳凰堂は日本を代表する文化遺産のひとつで、平安時代の貴族が夢見た極楽浄土を味わえます。広大な敷地に平等院の庭園が広がり、真ん中に鳳凰堂があります。御堂の前には池があり、池には鳳凰堂の美しい姿が反映されるため人気撮影スポットになっています。

平等院鳳凰堂や隣接するミュージアムを訪れると、平安時代の輝きを伝える数多くの宝物に触れられます。京都観光のついでに宇治に寄れば、非日常的な世界を堪能できます。

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京都の寺院

毎年大行列の瑠璃光院。限られた時間で充分満喫できる方法を教えます

秋の京都と言えば美しく色づいた紅葉を見に、多くの寺院に観光客が訪れます。そんな京都で毎年、秋の紅葉が美しく色づく頃には大行列ができるほど、紅葉を楽しむ観光名所の一つに挙げられる寺院が八瀬にある瑠璃光院です。そんな瑠璃光院を限られた時間内で、十分に満喫するにはどうしたらいいのでしょうか。

今回は、大行列が避けられない紅葉が見ごろを迎えた瑠璃光院を、いかにして十分満喫するか、その方法についてお教えいたします。

瑠璃光院の紅葉が人気の理由

京都市の最北に位置する八瀬大原は、観光でにぎわう京都市内とは打って変わって自然に溢れた静かな環境に包まれています。秋の訪れも早いことから、毎年11月中旬頃から紅葉が色づき始め、12月の初め頃には終わりを迎えるのが特徴です。京都市内に比べると1~2週間は早いといった印象があります。

そんな八瀬大原の地にある瑠璃光院は、毎年春と秋に特別拝観が行われますが、とりわけ秋は美しい紅葉の景色を堪能することができる寺院です。

そもそも八瀬大原は京都市内からは少しアクセスが悪く、あまり観光客が多い地域ではなかったのですが、近年は多くの人が瑠璃光院の紅葉をお目当てに訪れるようになり、秋にはまさに大行列といった雰囲気になります。

ここまで瑠璃光院が注目を集めたのは、近年多くの人が楽しんでいるSNSで話題をさらったからです。その理由は「リフレクションするモミジ」で、夜間のライトアップには特に多くの人が訪れ、賑わうようになりました。

リフレクションするモミジとは

瑠璃光院が多くの観光客が訪れ、大行列となった理由はSNSでリフレクションするモミジが話題になったからです。そもそもリフレクションとは「内省」を意味し、忙しい毎日の中で自分を振り返る時間を持ち、自らを見つめ直すことを意味します。

瑠璃光院を訪れる人が多くなったのは、忙しさにかまけて自分を見失っている人達がこれまでを見つめ直すことによって。これからの未来を明るくするのに最適な寺院だと評判になったからです。

紅葉の美しさもさることながら、内省ができるとあって、長い時には4時間待ちということもある瑠璃光院を限られた時間で確実に満喫するには、事前予約が欠かせません。11月下旬はとりわけ紅葉が見ごろを迎えるために大混雑しますので、早めに予約を入れるのがおすすめです。

因みに事前予約については瑠璃光院の公式ホームページに詳しい情報が掲載されますので、早いうちにチェックしておくのがいいでしょう。

京都の名所を回るタクシーを利用する方法

京都の名所を回るタクシーを利用する方法

事前予約がないと入れない寺院がある一方で、京都の寺院には予約をしなくても入れる方法があります。それは、京都市内の観光スポットを案内して回るタクシーを利用する方法です。いわゆるハイヤーと呼ばれる貸し切りタクシーのことで、こうしたタクシーを利用することでタクシードライバーの顔で寺院に入ることができることがしばしばあります。

そのため、鮮やかに色づいた最も美しい瑠璃光院の紅葉を満喫したいのであれば、京都観光に強いタクシー会社を探すのがポイントです。予約を入れる際に「瑠璃光院の紅葉をぜひ見たいのだけれど、確実に連れて行ってもらえるか」と尋ねましょう。

ハイヤーの場合、観光スポットとしてお客さんが行きたい寺院を優先して観光プランを立てるため、希望する日に瑠璃光院の紅葉を見られるように手配してくれることもしばしばです。タクシーで移動しますので、公共交通機関のように待ち時間もなく、短時間でも十分美しい紅葉を満喫できます。

瑠璃光院へのアクセスは

瑠璃光院は、京都の北のエリアである左京区の上高野という場所にあります。この一帯を八瀬大原と言い、ハイヤーで観光して回るなら大原を代表する寺院・三千院がもれなく組み込まれるでしょう。

瑠璃光院には駐車場がありませんので、ハイヤーを使って行く方法でなければ、基本的に公共交通機関を利用することになります。「出町柳」駅から叡山電鉄に乗車し、終点の「八瀬比叡山口駅」で下車すること徒歩5分です。

市営地下鉄を利用する場合は「国際会館前」まで行き、そこから京都バスに乗車して「八瀬駅前」下車しましょう。こちらは徒歩7分で到着します。

公共交通機関の場合は待ち時間が発生することと、八瀬大原周辺は公共交通機関の便があまり多くないこともあり、乗り継ぎが上手くいかないとかなり時間をロスする可能性が大です。限られた時間で瑠璃光院を満喫するには、最も効率の良いアクセスを知っており、なおかつ確実に観光できるハイヤーを利用する方法がベストと言えます。

まとめ

京都市内には各所に有名な寺院が点在しているため、一日ではとても回り切ることができないでしょう。特に紅葉が美しい瑠璃光院を限られた時間で堪能するには、公共交通機関の利用は時間の配分が難しく、行ってみたはいいけれど大行列で入れなかったということになりかねません。

短時間で心ゆくまで満喫するには、地元の寺院を知り尽くした観光タクシーを貸し切る方法が一番のお勧めです。瑠璃光院に予約をする方法もいいですが、タクシーを手配する方が限られた時間を効率よく使って瑠璃光院を満喫できます。

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京都の寺院

大原三千院の魅力は建造物だけじゃない。四季折々で楽しめる境内を散策しよう

京都大原三千院といえば、風格のある門跡寺院や本堂の往生極楽院(おうじょうごくらくいん)、金色に輝く阿弥陀三尊像が有名ですが、見所はそれだけではありません。聚碧園(しゅうへきえん)と有清園(ゆうせいえん)という苔が美しい2つの古い庭にもまた趣があります。
春には桜、梅雨時は紫陽花、秋には紅葉、そして冬の雪景色など、四季折々の美しい自然に彩られた境内も魅力にあふれています。大原三千院は京都随一の紅葉の名所と言われています。

池と清流、苔と緑が美しい聚碧園

門跡寺院にふさわしい風格をもつ御殿門をくぐり、拝観手続きを済ませて堂内に入ると、まず目に入る景色は粒庭の枯山水です。限られた空間に作られた小さな庭は、築山に石のバランスがよい落ち着いた趣があります。

さらに進むと客殿に入り、ここから眺められる最初の庭園が聚碧園(しゅうへきえん)です。江戸初期に千利休に茶の湯を学んだとされる茶人・金森宗和(かなもりそうわ)が手掛けた庭と言われています。金森宗和がこの庭に魅了され、自らも手を加えながら、今の深遠にして優美な庭に仕上げました。
池泉式庭園なので手前に池があり、周囲の苔も美しいです。植え込みのある築山が奥にあり、背景に紅葉という造りになっています。小さな清流が流れ、水の動きを感じさせる心地よい音が静かに響いています。
客殿の縁側に座り、静寂の中の庭園を眺めると、時の経過を忘れてしまうようです。木々と池、苔と飛び石が見事に調和し、見ごたえがあります。

苔のじゅうたんが見事な有清園

聚碧園には緑(碧)が集(聚)まるという意味があり、庭園内には様々な緑が植栽されています。縁側から右手を見ると、サツキの細長い寄せ垣が湾曲しながら昇っていくのが見事です。
11月にはもみじ祭りが開かれ、聚碧園ではお茶席が設けられます。静かな庭園を眺めながらいただくお茶には、特別な味わいがあります。

宸殿前の庭園は広くて奥行きがあり、真っすぐに伸びたヒノキ、ヒバ、杉の足元には苔がしっとりと生え揃っています。ここ有清園では、まるで緑のじゅうたんのような苔庭が雄大です。苔と美しい池、そしてスギやヒノキが作る圧巻の景色は池泉回遊式庭園と呼ばれています。こちらも聚碧園と同じく金森宗和の作とされています。
春から夏にかけては青々しい緑が育ち、もみじもまだ青いほどです。その中にも春にはシャクナゲが豪華な花を咲かせ、一段と濃い緑の中に映えます。夏には鮮やかさが増した苔、冬には美しい雪化粧が楽しめます。

秋にはひときわ紅葉が美しい庭に

秋にはひときわ紅葉が美しい庭に

紅葉の季節には有清園の通路は人だかりとなり、奥にある往生極楽院も見えづらいほどです。中央に真っ直ぐに伸びる通路の両側は苔と紅葉のじゅうたんです。苔もひとつの種類ではなく、多くの種類によって深みのある世界が創り出されています。人が入れない庭だけは静けさを保ち、変わらぬ美しさを見せてくれます。

左手には弁天池があり、水辺と木立の景色が落ち着いています。有清園は秋の紅葉がとりわけ美しく、散った紅い葉も緑の苔に生えて、シーズンを通して魅力的な景色です。

往生極楽院の正面に回り込むと、阿弥陀堂の内部には国宝の阿弥陀三尊像が安置されています。阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が神々しく、思わず手を合わせて拝みたくなります。

往生極楽院の南側には朱色をした朱雀門があります。小さな門でありながら存在感があり、石垣に挟まれ、緑に囲まれた様が心に残ります。これは極楽院を本堂としていた頃の正門にあたり、今の門は江戸時代に再建されたものです。

東洋の宝石箱と称された美しい庭

朱雀門から進むと、石灯篭を目印とした苔地があり、近年人気のある地蔵菩薩やわらべ地蔵とともに苔庭を愛でることになります。可愛らしい童地蔵は数体あり、これは石彫刻家の杉村孝氏の作ったものです。寝そべっていたり、苔に埋もれていたりと和ませてくれます。

三千院がある大原は「日本の紅葉の名所100選」にも選ばれています。大原の里は寒暖の差が大きい山間の盆地であるため、秋の紅葉の鮮やかさは格別です。その美しさゆえ、有名なCMにも使われたほどで、記憶に残っている人も多いでしょう。紅葉の季節だけでなく、1年を通して美しい自然で人々の心を癒しています。

聚碧園は豊臣秀吉に命じて作られた庭と言われています。聚碧園と有清園の美しさについては、昭和を代表する作家の井上靖が「東洋の宝石箱」と賞賛しました。豊臣秀吉と井上靖が見た景色が、今も変わらずあるのでしょうか。そんなことを考えるといっそう思いが深く、2つの庭の光景を眺めては感慨にふけってしまいます。

まとめ

京都駅から大原三千院へのアクセスは、バスの場合は「大原バス停」まで約60分、そこから徒歩で10分です。地下鉄とバスを乗り継いだ場合も所要時間は約1時間となります。
三千院は庭園が有名ですが、他にも見ておきたい魅力のある場所があります。天台宗の大事な法要を行う「宸殿」や、有清園の中の瑠璃光庭の中にある「往生極楽院」などです。「往生極楽院」は平安時代に建てられ、国宝である本尊の木造阿弥陀如来及両脇侍坐像が安置されています。

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京都の寺院

天狗が住む山「鞍馬寺」へ。京都屈指のパワースポットを体感してきました!

天狗で有名な鞍馬寺は、京都最強のパワースポットと呼ばれている寺院です。鞍馬寺は鑑真の弟子が770年に創建した寺で、平安遷都から2年経った796年に藤原伊勢人が毘沙門天と千手観音を祀ります。

650万年前に金星から降臨した魔王の伝説や源義経の伝説でも広く知られる鞍馬寺は、現在でも人気観光スポットのひとつです。清少納言の含む平安文学の舞台にもなり、鞍馬寺の九十九折参道は清少納言が枕草子で記した参道で平安時代と同じ姿を残しています。

牛若丸が武芸に励んだ伝説がある鞍馬

鞍馬は牛若丸と呼ばれていた源義経が、7歳から16歳までを過ごした場所です。本殿の裏から奥の院に至る参道には、牛若丸が様々な武芸に励んだ伝説が残っています。毎年9月15日には義経祭が開催され、多くの人々が義経を偲びます。鞍馬駅で電車を降りると、大きな天狗が出迎えてくれます。

鞍馬は天狗伝説発祥の地ですが、天狗伝説に欠かせない人物のひとりが源義経です。父親が謀反人になり鞍馬寺に預けられていましたが、招かれて僧と一緒に花見に出かけます。途中で山伏に出会うと僧は義経を置いて帰ってしまい、取り残された子供を見た山伏は憐れんで花の名所に連れて行ってくれます。山伏は自分の正体が大天狗だと明かすと、平家を倒すための兵法を授けます。義経が大天狗に出会ったのは11歳の頃で、厳しい修行に耐えた後は大天狗との再会を約束して去ります。

鞍馬駅には、大天狗と義経の伝承を伝える絵巻物が現在でも多数展示されています。

神秘的な鞍馬寺で体感する宇宙エネルギー

鞍馬駅から5分ほど歩くと仁王門があり、仁王門から山門までは山道を登ります。仁王門から先は、敏感な人だと宇宙エネルギーを体感できるパワースポットになります。

階段と坂道を上ると、鞍馬の火祭が行われる由岐神社に到着します。由岐神社の拝殿は珍しい様式で、国の重要文化財に指定されています。

仁王門から続く階段や坂道を上りきると、鞍馬寺の本殿金堂が見えます。本殿金堂には毘沙門天と千手観世音、魔王の三身が祀られています。正面の石畳には金剛床があり、六芒星の形が特徴です。金剛床は人間と宇宙が一体化する修行の場で、関西一のパワースポットと呼ばれ人気を集めています。毎年多くの観光客が、金剛床に立つと宇宙エネルギーを得られると信じて訪れています。

鞍馬寺の本尊は60年に1度、丙寅の年だけに開扉される秘仏です。魔王は大地の霊王で毘沙門天は太陽の精霊、千手観世音は慈愛の役割を持ちます。宇宙エネルギーの中でも強力なパワーを持つ大地と太陽、月のエネルギーが信仰の対象になっています。

観光スポットとパワースポットを楽しめる鞍馬

観光スポットとパワースポットを楽しめる鞍馬寺

神秘的な鞍馬の地は、観光スポットとパワースポットを両方楽しめます。御本尊の中でも特に注目を集めている魔王は、650年前に人類を救済するために金星から鞍馬山に降り立った伝説を持ちます。

金星からの使者が降り立った鞍馬山は、強力なパワースポットになります。使者は永遠の命を持ち、姿かたちを自由自在に変えられます。姿は天狗そのもので、全国の天狗を束ねる総帥と呼ばれています。本堂金堂から30分ほど歩くと、奥の院魔王殿があります。現在でも奥の院には行者が集まり、行を積み祈りを捧げています。

魔王は昼間の時間は大地の底で過ごし、夜になると姿を現すので山に霊気が満ちます。魔王殿に向かう道には、義経の史跡も多く点在しています。義経が剣術の修行に通っていた時期に、清水を汲んで喉を潤した場所も残っています。鞍馬山は山自体が御神体なので、参拝のために行く場合は自分に足で歩いて参道の自然を楽しむのが基本です。

可愛いケーブルカーを利用すれば参拝がスムーズ

鞍馬山には可愛いケーブルカーがあるので、体力に自信がない人や年配の人でもパワースポットを楽しめます。鞍馬寺が直接運営している日本一短いケーブルカーを利用すれば、山門駅から2分ほどで多宝塔駅に到着します。乗務員の多くは作務衣姿で、年間30万人前後の人が利用しています。多宝塔駅から参道を歩き、階段を上れば10分程度で本殿に到着できます。1957年1月から牛若号の運行がスタートし、2016年5月には牛若号4世が運行を始めています。

パワースポットブームもあり、鞍馬観光は現在でも安定した人気を誇ります。観光のピークは山々の紅葉が楽しめる秋で、観光客が多くなる時期は乗客数が増えます。京都駅から鞍馬時へのアクセスには電車やバス、タクシーを利用できます。利用者が多いのは電車でのアクセスで、JR京都駅から奈良線に乗り東福寺で下車して乗り換えます。京阪東福寺から約16分で京阪出町柳駅に到着するので乗換え、叡山電鉄出町柳駅から約27分乗車して鞍馬駅で下車します。

まとめ

美しい森に囲まれた鞍馬は、関西屈指の人気観光地です。京都市内の中心部から日帰りで行ける観光地のひとつで、京都の奥座敷と呼ばれている鞍馬と貴船はハイキングコースでも知られます。

神秘的な雰囲気に包まれている鞍馬から貴船のハイキングコースは、外国人観光客にも人気があります。ハイキングコースのルートには、鞍馬寺をはじめ様々なパワースポットが点在しています。高低差がないコースなので、初心者でも自然を楽しみながら歩けます。

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京都の寺院

家族の死を「悲しまない」考え方。神道ならではの死生観と葬儀式

神道は日本に昔からある宗教で、その始まりは縄文時代とも言われています。仏教が日本に伝来して広く普及した後も、神道が日本人の歴史や文化に深く根付いているのは間違いありません。

お葬式は仏教式で行うことが多くても、神社に初詣にお参りに行くという人も多いのではないでしょうか。お宮参りや七五三など子どもの健やかな成長を願う儀式なども行われています。そんな神道は、仏教やキリスト教とは違った死生観があります。

亡くなると神になる神道

神道では神羅万象に神が宿るとされており、あらゆる事象に神が存在します。八百万の神々という言葉もあるように、自然の物には全て神が宿っていると考えられているのです。

山などの自然も信仰の対象ですし、災いを神格化することもあります。権力を持っていた人物や恨みを残して亡くなった人を神として崇め、祟りを受けないようにした事例も多いようです。

神道での死生観もそれに通じるものがあり、人は亡くなると子どもや孫など家庭を守る神のような存在になります。神道は地縁や血縁で繋がっている共同体を守る目的で信仰されてきました。

祖先を神格化し、祖霊を祀るのが神道の考え方になります。キリスト教の聖書のような教えはなく、神道の教え等は神社や氏子たちの祭りに受け継がれています。それに対して仏教は、人の魂を救済したり国家の安定を目的に信仰されてきたのです。仏教の死生観は輪廻転生に基づいていて、人は亡くなると別の世界に生まれ変わります。

家族の死を「悲しまない」考え方。神道ならではの死生観と葬儀式

災いや穢れを払う儀式が葬儀

神道では魂が非常に重要で、肉体はただの入れ物と考えられています。そのため肉体が滅んだ「死」は、決して悲しいものではありません。肉体の死は災いや穢れと考えられるので、葬儀は神の力で穢れを払う儀式になります。

仏教でも人は亡くなると仏という存在になりますが、仏教が発祥したインドでは仏というと仏陀のことをさしています。修行をして悟りを開いた覚者のことをサンスクリット語でブッダといい、それが仏陀となって仏となりました。それが日本に伝来すると、仏は全ての死者を表す言葉となったのです。これは仏教というよりは、神道の影響を大きく受けています。神道の死生観が、日本に根付いている証拠といえるでしょう。

ちなみにキリスト教では人は亡くなると神の審判を受けるために、一度だけ肉体が復活します。土葬となるのが主流で、火葬は行われません。肉体がただの入れ物と考える神道とは、そういった点が大きく異なります。

穢れに神様が触れないように神社では行わない

神道での葬儀は、故人の魂をその家の守護神にするための儀式でもあります。近年、葬儀を行う場所は葬祭場などの施設にすることが多いです。遺族や参列する人の負担が少ないため、施設を選ぶ人が多くなっています。しかし、仏教ではお寺で葬儀を行うのが本来の形でした。神道では人の死そのものが穢れと考えられているので、神様がいる場所である神社で葬儀を行うことはありません。必ず自宅や葬祭場などで行います。

「穢れ」といっても、それが悪いというわけではありません。穢れの語源は「気枯れ」にあり、気力を失った状態であることを指しています。生命力が衰えている時期なので、神様に近づけると良くないとして避けるのです。
家の中に神棚がある場合には、そこにいる神様に穢れが触れないように神封じを行います。葬儀の前に通夜祭を行いますが、住んでいる地域によっても行う儀式は異なっています。住んでいる地域の風習に則って行う必要があります。

神様に玉串を奉納する

神道の葬儀では、玉串台を設置して祭壇と棺も安置します。神道の場合には正確に言うと、葬儀ではなく葬場祭となります。拍手をする場合には、忍手という方法で音を立てずに行うのが葬場祭のマナーです。それから玉串奉奠の儀を行います。

家族の死を「悲しまない」考え方。神道ならではの死生観と葬儀式

これは仏教式だと焼香に当たる儀式になります。玉串は神様が宿るとされる榊の枝に紙垂を結んだもので、それを神様に捧げる儀式です。玉串奉奠の義は、葬儀だけではなく結婚式の神前式などでも行われます。七五三やお宮参りなど神社で行われる儀式に用いられます。その後は火葬場に移動して火葬祭を行い、火葬場から帰ってきた人に対してお清めをする儀式も行います。
葬場祭に参加する際に気を付けたいことには、数珠を使わないことが挙げられます。数珠は仏教式で使用するものなので、持って行かないようにしましょう。また、供養や冥福といった言葉は使用しないので、参列する際には気を付ける必要があります。

仏教とは異なり、
「神道ではご冥福をお祈りします。」という言葉がつかえないのです。

冥福とは故人の死後の幸福を祈る意味であり、遺族に使う言葉ではありません。そして、死者の死後の幸福を祈る必要のない一部宗教においては、使わない言葉であります。
▼神道のお悔やみの例文(口語)
「この度は御愁傷様でした。謹んでお悔やみ申し上げます」
「この度は思いがけない事でとても残念です。どうかお力落としなさいませんように」
参考:「ご冥福をお祈りします」は故人に対して死後の幸せを祈る言葉|正しい使い方と使ってはいけないタイミングとは葬儀のデスク

神道の死生観では、人は亡くなると家庭を守る守護神となります。肉体は元々魂の入れ物なので、肉体が滅んでも悲しいわけではありません。ただし、神道では人の死を穢れや災いと考え、それを祓う儀式が葬儀になります。神様に穢れが触れないように葬儀は神社では行わないのが一般的です。また、故人の魂を守護神にするための儀式でもあり、神様に玉串を奉納する儀式も行われます。玉串奉奠の儀と呼ばれるもので結婚式や七五三などでも行います。